前置き2。
この記事にupされている日本語の文章は西暦2017年から西暦2019年にかけてupされたものです。
色々と注釈を付けて(私Shinpei Sugiura(杉浦真平)によるものではないと)否定しておかなければいけないところが多々あるので以下そのように行いますね。
↓
・まず、
「おいしい」→「おししい」
「再世界化」→「最世界化」
「こういったことが分かりだすと」→「こういったことはが分かりだすと」
「と思い込んでその上に」→「というように思い込みの上に」
「照らし合わせるべく」→「照らし合わるべく」
「2歳半前後で(覚えて紙に書いてました)」→「2歳前後で(覚えました)」
といった類の為された改変は私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の手によって行われたものではなく、これらは私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の本意ではありません。その他、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の手によって行われたものではないものとして、母国語の知識は知識ではないという内容のことが述べられていたりとか、「大人たちに対するレスポンス」とかいった加筆改変があったりとかいったことがあったりします。このブログはね、抗精神病薬の副作用とoverdoseの断続的な繰り返しで鈍器で連続時間的に殴られ続けているような具合の頭と悪寒とそれらからの解放による(何故か)正常性に基づいてそのほぼ全ての文章の内容が構成されているものです、elected forをelected asとか間違えたことを言ってるのを鑑みてもらえばその内容の是非はともかくとしてあまり正気な状態ではない状態で書かれたものであることはお分かりいただけるものであるかと思われます。お読みいただいた方におかれましては大変失礼いたしました。
・結局、設定された(かのような)各ルールや規定点的にそうであるかのようなものは定義(として扱われる)に過ぎないという、いわゆる「何でもあり」の戦争を私杉浦真平は吹っ掛けられているということなのでしょう。これのspanは少なくとも私Shinpei Sugiura(杉浦真平)におけるということでは私Shinpei Sugiura(杉浦真平)が生まれた時点からのものであり社会的責任はそのように(「とある」と言ってしまって適切かどうかは断言できないが)mechanismの内に(mechanismとして)在るものです。戦争が社会的責任と絡めて語られるということは陳腐なものには違いないですが、所詮戦争というものは(というものが、というものも)そういうものであるということです。
・嫌がらせ(騒音、窃盗等)の問題について。精神科医はこれらが被害者における幻聴であるとして被害者への拷問にそれへのアプローチがどういったものであれ参画していたという現態がありましたが、精神科医ももはや事ここに至ってはこれらが幻聴であるとは言わなくなりました。精神科医はこれらを(書籍まで利用して)ポルターガイストであると言っていたこともありましたが、確かにそれはそれとしては(出来事としては)あり得ることなのかもしれませんが、それとは別に加害者がそれにかこ付けて被害者に対して騒音の危害を加えていたという事実を誤魔化せなくなったということです。また、嫌がらせということでは、他には、例えば、冷蔵庫でアイスキャンデーを冷やしておいたらば、勝手に食べられたとかではなく(ここポイント)、一本無くなっていたそしてその日の夕食の炭水化物の量が減らされていた、といった類のことがあります。この犯罪行為の実行者はおそらくは同居している私の実父が実母ですが、(犯罪行為というのは、おそらく)医療側が勝手に私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の摂食物を窃盗し検査する(、ということを見せ付ける、)ということを行っているということです。調べようと思えばそのアイスキャンデーを医療側が勝手に購入し勝手に調査研究すればよいことであり、ここでは、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の摂食物を窃盗し検査する「ということを見せ付ける」という行為ですが、不必要な医療行為の押し売りについては迷惑でありお断りであり、そもそも、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)には栄養学を採用しなければいけない義務は無く医療側が勝手に私の所有物を窃盗したり私の食事の分量の調整を行うということからして犯罪行為であり迷惑千万であるということです。ちなみに、「この女は私が子供の頃からひたすらこういった嫌がらせをジメジメグジグジと行う豚でした。ちなみにこの女はもう頭がボケてます。」という記述は然りなものであり、一体どの程度医療側の暴力がこの内に含まれているのか興味深いものではあります。
・「『私は週間少年ジャンプとかは読みませんでしたけど』『この10歳で突如近視になってメガネを掛けはじめたころから自覚的に身体感覚もおかしくなりはじめました』『肩や背中が凝りだして痛みを発し始めて椅子に座ってじっとしているのでさえも非常な苦痛になり始めたんです』『「母親はトウダイで父親はキョウダイなの~」という目立ちたがりの他者に対する嗜虐心の強い女子児童に攻撃されました』『ちなみに今31歳の私はもちろん老けてオッサンになって肥満してます』『絵が好きな子でまんがをノートに書いて私にプレゼントしてくれる女の子居ました』」にまつわって捏造されているところの記述がありますが、そのように捏造を行っている連中はこういった捏造「自分ら底上げ敵底下げ」な心理的マスターベーションにかまけているから何処へ行ってもダメージを食らうのであり連中における敵の「自分ら底下げ敵底上げ」な攻撃スタンスを学ぶべきでしょう。この「自分ら底上げ敵底下げ」は連中がフィクションとノンフィクションの区別が付かない危険者であるという証明を典型的に羅列してくれているものです。例えば、連中によるこの心理的変質キモグロ創作小説よりはるかにマシな変態エログロ小説がネットには転がってますが、これは典型的な「自分ら底下げ敵底上げ」な攻撃であり(一見しては不謹慎だが)かなりスマートであり、きちんと当該の当該性が説明されているところのフィクションとノンフィクションの区別が付いている健常な例であるということです(だからこそネットでもそのように垂れ流されているということです)。
・蓋然性云々について、それが強迫観念であるなどということは無い上に「取り組む」ということや「分析」「解析」そしてそれらの違いさらには「TPO」といったようなことを考えれば分かる通り場の視覚映像や聴覚映像に脳(とエネルギー)を使って思考や言説の筋を維持するということはヒトが社会生活を営む上でごく当たり前のことです。これを否定する反社会的人間もはや非社会的人間はホームレスであるという問題でしょう。そして、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は人の名前と顔を覚えるのが非常に得意だったりするものであり本を読むのが遅めだったりするものです(関連させる故)。私はそこまでオツムの程度が悪い子供ではありませんでしたが、医師その他によって体を傷つけられており、ちなみに物事の遂行においてやる気の無い子供ではありました。ヒトが客体を認知し客観(的)な認識を得ることはいたって健常で正常で普通のことです。リスク管理能力はヒトにおける基本的な能力の一つであり、「ものわかり」の云々とは関係なく、そのことへのアプローチの如何はともかくとして幼少期からそれが培われているに越したことは無いです。情報の取捨選択を行いそれを必要なものと不必要なものに分けるのはいたって普通のことでしょう。いわゆる真面目な人間はこれらにおいて社会的に優れた特質を持っています。自由については責任が伴うということであり、当然自由意志の行使(ということ当該)においてもそれは妥当するということです(主にはマスコミの流す駄情報に踊らされずに学校の教科書で習ったことをきちんと正確に理解していればまったく健全です)。リスクの存在しない世界を求めているのであれば、この文章の改変が為されるにおいて自らの意思をそのように介在させている者は、一刻も早く死ぬべきでしょうということになってしまいます。残念ながら、生きていれば嫌なこともあるということであり、何でも自分の思い通りになると思ったら大間違いです。……彼らは彼らが言うところの「完全に世界そのものたる蓋然性」というものが如何なるものであるかということについて考えたことがあるでしょうか?、一回のペーパーでの「あらわれ」は何でしょうか?、「新しいもの」とそうでないものという区分のみがカテゴライゼーションとして存在するわけではありませんが?(一義性に取り憑かれているのは不幸でしょう)、不特定多数の人間によるストーカー行為に不快感や異常さを感知するのは正常なヒトのそれであり、よってビビりはしないのであり、「うっとおしい」から「フーン、あっそ」で済まします(ということがあります)が?当然、これは、ヒトにおける学習能力を利用してストーカー連中が洗脳行為をターゲットに対して行っているのは見て取れるものであり、サブリミナルを掛けられているということによって何らかの学習が生成されるわけではなく、いくらありもしない状況証拠(であるかのようなもの)を捏造してターゲットにおけるターゲット自身の当該性を演出しようとしても無駄です(私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は養老孟司さんについて勝手ながら色々と書きましたが、養老孟司さんは「そのような」形のキャラクタライゼーションにて芸能活動を行っておりそのような内容の主張を多々行っておられる方です)。ヘレン・ケラーの努力は称賛されるべきかもしれませんが、彼女のようなヒトは明確に障害者です、障害者ではない歴史上の人物ヘレン・ケラーというのは成り立たないでしょう。例えば、音楽は聴き手あっての音楽でしょう。
・養老孟司さんの顔は白人的なのではなく黄色人種の内美形の顔です(老人の人相というものは奇妙なものであり、少なくとも私は、言及できません)。ところで、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)はヒトのオスであり、ヒトのオスの肉体を鑑みて性的欲望を感じることは無いので同性愛者ではありません、が、かといってヒトのメスの肉体を鑑みて全ての場合において性的欲望を感じるわけではないです。(大抵の場合下記人相の悪い)反社会的人間集団の面子が日常茶飯事としてカラんでくるのでこういうことを面倒であるにもかかわらず断っておきますが、私は無根拠に自分を求めていて欲しくて仕方の無い女性の性を満たすようないわゆる女好きの男ではありません、が、ヒトの顔面というものには興味があります。白色人種有色人種問わず、それぞれ顔面の造形が美形であったりそうではなかったりするヒトが居らっしゃいますが、人相というものは共通であると思われます。人相とは表情のことではありません、例えば表情が険しいからといって人相が悪いと言うことはできません。私は、自分が黄色人種であるからかどうかは分かりませんが、白色人種や黒色人種の女性を鑑みて性的欲望を感じることは稀であり、やはり黄色人種の女性が好みです。しかし、その場合でも、人相の良い女性はあまり性の対象にはなりません。残念ながら私は黄色人種の女性のうち人相の悪いおぞましい売春婦の様な女性に吐き気と共に汚い性欲を感じるように出来てしまってます。その顔面の造形が美形で人相が悪いヒトの社会的立ち位置や如何に?と考えると面白いものですが、人相の悪いヒトの人間性を勘定した場合、そこに繁殖力の問題が立ち上がるわけであり、現代では顔面の造形など整形技術その他によりいくらでも変更が可能であり、顔面の造形の問題ではありません。ちなみに、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、精神障害者としてではなく身体障害者としてですが、障害者としての自覚があるので女性を得よう女性の相手になろう相手にしてもらおうという気は皆無であります。
・「金満」とは何でしょうか?ただ単に「金満」では拝金主義者のことなのか額の大きい金を所持しているだけの者のことなのか分かりません。「金満」という言語表現によってintelligence(一般名詞)と勘違いされた知的清貧めいた何かが表現されているというのであれば陳腐であり滑稽でありお笑い草です。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、その筋の専門家ではないので生物学的な観点からするところのヒトの知的能力というものがどういうものかと問われた場合に「こうである」と答えることはできませんし、アメリカのCIAの職員ではありませんが、ヒトの知性というものについてはよく分かっているつもりです。
・障壁の高も低も為され得ないという参入というものそのものが無視される形での机上の空論である(multiplied) text(ure)によって、自虐が肯定されてしまいます(「誰も買いません」というのであれば、別市場であると考えることもできるということです。どういうことかお分かりになられるでしょ?)。
・「統合失調症(精神分裂病)であった私の行動としてあったものは基本的にこの「空気を読む」ということだけでした。この「空気を読む」という行為は「空気で読む」ということでもあり行為として最悪のものであって最も愚劣で最も醜いものです。」という私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の手によるものではない捏造された記述がありますが、例えば、illegalにrightsが無いというのであればillegalにrightsが無いというのがillegalなのでillegalにrightsが無いというものにはrightsが無いものです。ナチスが虚無主義をその旨としていた(政党であった)事はつとに知られていることです。……以下同私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の手によるものではない捏造された記述について。「もちろん現代社会に生きる人間はその成熟に従ってある程度は必然的にこの能力を身に付けざるを得ませんけど、」、根拠無し(教育ならぬ飼育や調教が効果を発揮しているとも言える)。「その成長スピードに限度というものがあるわけであって、問題は年齢にそぐわず老化・老成してしまっているということです。」、根拠無し。「よって、例えば私の場合だと肉体の見た目というのは相応に醜く不細工です。」、私杉浦真平は身体障害を患っており骨格の形成等が若干異常であるということがありますが、ちなみにここは「よって」では繋がりません。「何故私がそれでいて悪事や痴れ事に(あまり)走らないかというと、その空気に内容を設定しているからであって、「悪事を行ってはならないという空気」「痴れ事は醜いものであると認知すべき(く)空気」その他によって私は私の行動どころかおそらくは無意識的に思考までをも制御しているからです(教育が効果を発揮しているとも言えます)。」、悪事を行ってはならないという「空気」も痴れ事は醜いものであると認知すべき(く)「空気」もここで言われているその他「空気」も存在しません、「空気」で制御される行動も思考も存在せずこの場合内容(と云うと語弊がありますがここでは便宜上仕方無くこう述べておきます)が歪むだけであり、よって「教育が効果を発揮している」とは言えません。……私はナチス親衛隊ゴッコをやっているわけではありません。ゴッコの本質を知っているのならば、彼らは自分らの社会的立ち位置についての理解を得ることができるはずです。
・Thanatosも含めて理由付けを与えているだけの奴らに生物としてのくびきから逃れることを。例えば、社会的失敗例ナチスにおいてヒットラーが「総統」であったということ、があります。実際ここに至って彼らが私Shinpei Sugiura(杉浦真平)に対して行っていることは一般名ハロペリドールだとかオランザピンだとかリスペリドンだとか名指されている何らかの薬物の投薬による薬効とそれのoverdoseという理由付けという理由付けそのものの授与に過ぎません。彼らには広義の意味での社会性が欠如しています、日本の天皇陛下は象徴としての社会的役割の自覚をお持ちであるということがあります。精神科医曰くの「ヒットラーは演技性人格障害である」とは何でしょうか。精神科医の「それ」のために何百万人の人間が(恣意的に)殺され数千万人の人間が戦争で命を落としたというのでしょうか?ヒットラーは「意志の勝利」の生き物であり、「そのように」人命が軽んじられるべきではないでしょう。精神科医は、薬物投与のみに依存していては自身らが排斥されることを分かっているのでしょう、だからこそ自身らをtext化して(するということを)「率先する」という事であり、社会的に排斥されている者たちをかき集めてはそれらと共に「率先する」という事です。おそらくこれについての指揮を執っているヒトたちの中に精神科医が含まれているということでしょうけど、私Shinpei Sugiura(杉浦真平)に付きまとい脅し強請りストーキングを頻発して狭義の意味での社会性設定を被害者である患者(私Shinpei Sugiura(杉浦真平))に対して押し付け刷り込むということを行い被害者である患者(私Shinpei Sugiura(杉浦真平))を奴隷に仕立て上げようとするということを彼らは行っているという事です。彼らは、現象学の現象学性という表象を利用した現象学に見せかけたまさに表象学当該であるところの表象学であり、つまり現実であるところの現実の模倣が(表象的に)為されようとしているにもかかわらず至極に為されていない現実模倣創作物であるということです。現象学においては「素描」ということが言われていますが、つまり、現象学者には現象(学)と表象(学)の区別が付くが表象学者には現象(学)というものは理解不能なものであり現象(学)と表象(学)の区別が付かないということでしょう。例えば、分かりやすい例として自称竜頭万里子の究極のエニアグラムが挙げられるのであり、竜頭万里子を自称する特定一個人か人間集団が「『自称竜頭万里子の究極のエニアグラム』における判定された性格タイプ」を「竜頭万里子を自称する特定一個人か人間集団以外の特定の個人」に対して判定している限りにおいて「竜頭万里子を自称する特定一個人か人間集団以外の特定の個人における『自称竜頭万里子の究極のエニアグラムにおける判定された性格タイプ』」は存在します、何故ならば竜頭万里子を自称する特定一個人か人間集団が「『自称竜頭万里子の究極のエニアグラム』における判定された性格タイプ」を「竜頭万里子を自称する特定一個人か人間集団以外の特定の個人」に対して「判定」しているからであり、「竜頭万里子を自称する特定一個人か人間集団以外の特定の個人」は判定された「『自称竜頭万里子の究極のエニアグラム』における判定された性格タイプ」とイコールではなく、ただの一人でも「『自称竜頭万里子の究極のエニアグラム』における判定された性格タイプ」を判定された「竜頭万里子を自称する特定一個人か人間集団以外の特定の個人」が存在するのならば「竜頭万里子を自称する特定一個人か人間集団以外の特定の個人における『自称竜頭万里子の究極のエニアグラムにおける判定された性格タイプ』」は存在します。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は現代日本において社会的に排斥されていますが、ここで云う「『具体性』を持たれた形」でではありません。……能動的な安楽死は社会的に認可されるべきものであるということがあります。ちなみに、その上で女性の意思は尊重されるべきであり、出生前診断は母親の胎内の胎児に対する安楽死の認可を意思表明手段も意思表明器官も持たない胎児に代わって母親が行うためのものであり胎児の母親や胎児の母親になり得るヒトのメスの性の濫用を肯定するものでは決してなく安易な性交を経て妊娠したからといって人工妊娠中絶を行うことが社会的に許諾されるということはあり得ません。女性の経済的自立が(男性においても)どれほど大切なものであるかということです。セックスはファッションでありアクションとしてのセックスがカルチャー化したらヒトは終わりであるということです。……ヒトにおける恥意識や漠然とした慢性的な倫理感覚を利用して事件や事故等事実を捏造しようとする連中が居ます。それは罪の文化の産物でもなければ恥の文化の産物でもなく、罪の文化や恥の文化の産物がそれであるということです。
・「つまり百何十年前からかある(ことになっている)schizophrenieなるものとしては、自分をスキゾたらしめた連中(人間)に対する最大の復讐は自殺することです。」という私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の手によるものではない記述がありますが、これは「私らヤってる、お前死ね死ね死ね死ね」と言っているレベルであり幼稚園児レベルです。確かに自殺は人間関係における問題解決の手法の一ですが、人間関係において問題が解決されることと脳の病気が否決されることは全く別のことです。ジョン・メイナード・ケインズは計量経済学が大嫌いであったというのは有名な話ですが、ちなみにmodern monetary theoryは全てのヒトが完全に完成された善良で完璧な者であるという前提の下成り立ち得るものであるのでその是非についてはそのように問われるべきものでしょう、ケインズがどのような理由で計量経済学を嫌ったかは実に興味深いものです。