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日記

As they say "Seize the light.", you say "Let there be light."

世記1

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ただいまコメントを受けつけておりません。

世記1

↓以下 落書き帳1
 
 
・If I am brainwashed, I am brainwashed.  I don't know.

・(「ケーキを切れない非行少年たち」ということについて)もし本人にその技量があるのならば、円を横断する二つの直線でケーキを三等分することも出来る。普通の三角形の切れはしを三つ作る切り方でも厳密に三等分されるというわけではない。円というものの捉え方にもよるが、本人たちの(おそらくは社会的な)こだわりといったものも無視されるわけにはいかない。そうしてこそ、被害者における被害の現状も解析され(おそらくは社会的に)理解されるに至るだろう。(西暦2022年9月25日15時15分頃記載)

・(社会学者の宮台真司氏が襲撃された件について)例えば、「格差と分断 崩れゆく世界の中で」という主題を取り上げるとなると、ちょっと疑問符が湧かずもがなといったところではありますが、確かに物理的暴力が振るわれて良い筋合いは無いですよね。「言論を封殺」ではなく「言論で封殺」する能力の無い人間を社会的に排斥する意義を宮台さんが語っておられるという一面は在るのかなとは思われます。そういうリスクテイクを実践している方々においては、「言論で封殺」する威力とそれの可効範囲というのは、現代では、正の相関関係にあるものと思われます。残念ながら、今回の事件では、それが宮台さんに一点集中されて返ってきたということでしょう。(2023年1月31日10時20分記載)

・私は、メディア上のコンテンツに関してもそうですけど、内容のある発言に関しては、合理的に考えて間違っているか間違っていないかで判断するので、こちらの精神をえぐってくるそうでない発言に関しては、鉄砲玉ということでゴミ処理しています。例えば、「自由人」という単語に、「お金をたくさん持っていて、放縦な生活をしているヒト」という定義付けが為されている場合、「大したお金は持っていない質素に生きているヒトにも、自由(な生活を送っている)人は居る」と判断を下す、ということがあります。この場合、上記定義付けという生ゴミの様なものが捻出されてきますから、それを捨てるだけです。ゴミ処理というのはそういう意味です。……日本語の語義の問題かもしれませんが、「現在的」という単語の対義語は「発害性」だったり。……例えば、この文章をここに載せている動議についてもそうですけど、投降後の改変について、お分かりになりますでしょ?(相手がどういったカテゴリーに属する者であっても)(その)相手が存在する限りにおいて、ということです。絶対に外部第三者からは読み取られない情報伝達技術があっても、第二者が存在する限りにおいて、ということです。……鴨が葱を背負ってやって来た的な、ヒトを利用する、人間関係の構築の仕方もあるというヒトも居るようです。彼らにとっては社会的禍根が巻き起こった方が都合が良いようです。エネルギーの源としてヒトを利用する、もしくはヒトを食い物にする、そういった彼らはいつかしっぺ返しを食らうかもしれません。烏合の衆が彼らにとって都合が良いわけでは決してないようです。彼らにとって都合が良いのは、特定の集団への帰属が既に為されているヒトビトであるようです。特定の集団への破壊衝動を看過されてしまう様な相手に対しては、彼らは肩すかし感を食らう様です。独裁者が社会適応性が(極めて)高いかというと、決してそんなことは言えないでしょう。
(西暦2022年10月2日1時33分記載、西暦2022年10月2日2時13分加筆改変、西暦2022年10月2日9時50分加筆改変、西暦2022年10月3日22時55分加筆改変)

・米FRBのパウエル議長は、以前からその場その場での対策として素行的措置を取るとおっしゃっています。一般的に言われる「データドリヴン」とは違うということでしょう。それは、どのような指標であっても、悪化のバイアスが掛かっている限りにおいて、(それを)最大限除去するという、パウエル氏の努力の表明ではないでしょうか。(西暦2022年9月22日2時04分記載)

・脳科学者の茂木健一郎氏が、御自身が定義する「日本病」について、語っておられる。私は、対人関係の為の対人関係というか、ヒトとヒトとの対話における機微で(そこの)歩調を合わせていく様なもので人間関係を構築していく人間だった。それが、ある時、それはヒトとして間違っているのではないかということを思い、物事について(ある程度)考える様になった。確かに、空気を読むその他で特に同意し合っていると自分らだけが特別の枠組みの中に居る様で心地良さを感じる場合もある。ともかく、精神科医は、特に統合失調症の治療に際して(は)、「再世界化」とでも呼ばれ得るものを執り行う。これは、薬物を使用して、それまでの思考回路を断ち切り、記憶も断裂化させて、人間関係共々、患者にまつわる全てを刷新すべくの医師による試みである。もちろん、患者の自覚意識的には、人間関係を機微によって構築する技能も失くし、薬物の効能によってものを考えることも出来なくなり、医療従事者のいい様にされて彼らに新たな社会環境を押し付けられるというものでしかない。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)は、最初うつ病、後に統合失調症、と、精神科医によって診断された、が、これについては、精神科医という特権階級による物事の成し様云々というよりは、具体的な医療行為としてのものでない精神医学というものがそこにあるということである。(西暦2023年2月22日14時7分記載)

・抗精神病薬強制加圧筋トレの如くの薬効です(でした)。現在飲んでいる抗精神病薬エビリファイのジェネリックの医薬品はともかくとして、「薬が抜けていく」に従って具体的に熱(体温)が下がって平熱に近づいていきます、ので、やはり一部を除いて抗精神病薬一般は、addictionのある、危険な薬物だったんだなと考えさせられます。基本的には、主に、抗精神病薬一般の薬効・意図的な騒音発生による加害を含めた物理的加害(被害者(私)の食事に異物を混入させるだとか被害者(私)の所持物を傷つけるだとか被害者(私)の金を盗むだとかを含めた)・脅し・ストーキング・強請り・集りを含めた「敵方」の攻撃によって為されるのはインソムニアを強制誘発させる拷問です(このことを米CIAのせいにしようとする同「敵方」も居ます)。私Shinpei Sugiura(杉浦真平)にはそれのせいで両肩の付け根に骨肉腫っぽいものが出来てしまっておりそれを体全体のバランスの基点としてそこに引っかかって全体的に大幅に右へ釣られてそして左右に引き裂かれるというような身体感覚に支配されています。他の肉体に関する異常としては、首を上下に動かすと、首の骨の付け根辺りが音を立てるものであり、骨もしくは筋肉その他に異常があるものと鑑みられます。西暦2017年10月に日本医科大学付属武蔵小杉病院において大量の点滴を投与されてからというのもありますしそもそも西暦2015年末のハートフル川崎病院への第二回目の強制入院のあたりから第七頸椎から下三つ四つ五つ位あたりまでの背骨が左上に引っ張られるという形でかなりの痛みを発していましたが、特には右耳の真上に通っている硬直した筋がそのように異常であったところのその頭表筋の感覚の正常化や上記首の付け根辺りの痛みや感覚の異常さの緩和に伴って筋肉の操作によって背骨への歪みの圧力を低減させられるということが可能になり、それが軽減されてきました。……おそらく西暦2016年末頃に、当時ハートフル川崎病院にて私杉浦真平を患者として同院にて自身を医師として担当していた自称山口裕介は、同病院の外来患者用診察室にて、私が当時抗精神病薬として渡されていたものの薬効で食道の胃に近いあたりに胃酸が逆流しておりひりつき非常に苦しくそれを告げるととてもにこやかに「逆流性食道炎なんて誰もがなるものでね(笑)」と私に対して言ったということがあります、もちろんそのように同自称山口裕介は私杉浦真平におけるそれの治療は行いませんでした。ちなみに上記の通り同年10月には私杉浦真平は当時抗精神病薬として渡されていたものの薬効に基づく総体的な症状の一環としての同逆流性食道炎と思われるものが酷くなり摂取した飲食物を激しく嘔吐するということに相成りそれ(ら)の結果倒れて日本医科大付属武蔵小杉病院に強制入院させられました(身体感覚からしてその時大量に注入された点滴には大量の何らかの抗精神病薬が入れられていた可能性が高いです、その時同日本医科大付属武蔵小杉病院の地下階もしくは1階の緊急治療室(?)で何故かベッドに拘束衣で縛り付けられていた間顔の右半分の耳鼻咽喉にまつわる器官のあたりが腫れ上がり右の耳から形状化された細菌が現出しているほどの茶色い膿が大量に出続けたということがあります、もちろん同日本医科大付属武蔵小杉病院の医師も看護師も私杉浦真平におけるこれを察知しながらこれについての治療は全く施しませんでした。また、西暦2015年12月14日に私杉浦真平は同ハートフル川崎病院に何の宣告も無く同院外来患者用診察室からのいきなりの直接の拉致という形で強制入院させられるということがありました、が、その入院期間中「電気による治療」だかという名目で同ハートフル川崎病院西棟5階のナースステーション奥の簡易治療室のような所で何らかの薬剤を注射されて眠らされるということを数回に渡って行われました、そしてそれから目覚める度に決まって右耳の耳朶の奥に何かが詰まっているかもしくは溜まっているかという頭の奥ひいては頭全体が重たく非常に苦しい感覚を得ることになりました。)。私杉浦真平は「(同自称)山口裕介はハートフル川崎病院を西暦2017年8月上旬付けで退職している」と聞かされています、が、当時同病院自称医師自称「天保義明→天保英明」や当時同病院自称医師自称「長岡真実→長岡真美」等の名称変更と同じく自称「山口裕介」の唯名も偽名であった可能性が高いものであり、そもそもこれらが医師免許を所持している者である保証も何処にも無いものであり、このあたりのことについては私Shinpei Sugiura(杉浦真平)においては全く不明です。……ちなみに、西暦2000年夏頃聖マリアンナ医科大学付属病院整形外科診察室にて私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の前に医師として出てきた人間は、当時私が筋力トレーニングを行っていてそれの影響で左右どちらかの膝を慢性的に痛めていてそれを訴えると、自分が座っていた机の引き出しを開けそこに何故か(単発で)入っていた金槌を取り出して私のその指し示した方の膝をそれで軽くコンコンと叩き「異常は無い」と私に対して言った、ということがあります。また(続いて)、西暦2004年夏頃川崎市高津区にある総合高津中央病院整形外科の三雲と名乗る私Shinpei Sugiura(杉浦真平)の前に医師として出てきた人間は、おそらく私が整形外科医学に関する何らかの症状を申告するとレントゲンか何かを撮って「全体的に筋肉の付きが足りない」と言い骨の部分については診療をしませんでした(そしてもうすぐ自分は退職すると張り紙にて患者に対して報告していました)。……(余程肯定的に捉えて)脳の病気が重いからして彼ら精神科医は身体感覚についてもしくはそこから教えようとしているということは分かりますが、やり方があまりにもスパルタでありその意味で正常な感覚を持った現代人にはこれはまず通用しないものであり、ということです、が、精神科医の先生も良い先生は本当に良いんですけど、きちんと選ばないとダメです、ということです。(西暦2020年5月下旬記載)

・精神科医の和田秀樹氏が「医師を『そういう風には』相手にするな、医師には『健康』という概念が無い」といった様なことをおっしゃって警鐘を鳴らしている。日本語では、(傷を)「癒やす」という表現は古来そもそも存在せず、(傷が)「癒える」という言い方をする。本来的に、医療技術イコール医療ではないだろうし、ますます西洋医学はその意味で進展し東洋医学はないがしろにされることとなる。精神医療一般の非人道性を見よ。そして、患者側が医療を選択肢として鑑みないのならばということでの、東工大と東京医科歯科大の併合を始めとして、人体を工業生産物として扱おうという、医学の工業化バイアスが見て取れる。結果、人体への商業生産物化という「被害」の実態を知るもの達へのエンクロージャーが為され、人々は「生かされる」様になる。反面、人々は死を任意に選択する様になるだろう。中には、死ぬ権利を主張し出す者も出てくるだろう。若者達の、メリットが無いという視座に基づく、結婚忌避もどんどん進展していくことになる。この度制定が為されようとしている、「出産準備金」なるものも、あまりに露骨である。それは、女性達に、「カネをやるから子を孕んで産め」と言っているのである。(西暦2022年10月16日23時02分記載、西暦2022年10月27日19時43分25秒加筆改変)

・他者に自分の言うことをきかせることを第一義として当該の行動に及ぶ者は、もちろん、そうであるが故に該当の他者に相手にされない。彼らには、自己と他者が別個の者であるという認知が欠如しており、彼らは典型的な全体主義者である(例えば、「総統」は例外として、国王や天皇の威厳は、これとは逆のものであり、行動より立場が先に来ている)。彼らにおいては、エゴは衆目と一致しており、その衆目と化したエゴが彼らを形づくっている。彼らにおいては、物事もしくは事物における具体的内容は二の次である。だから、そういう「二の次な具体的内容」が(彼らにおける「非本位性」と相まって)「本位的」となってしまっている、という「非本位性」が彼らにおいては散見される。関係妄想と精神感応が違うというのはこういうことである(例えば、カードの類で出るものを見よ)。……スキゾフレニアの治療について、「精神的なダイエットの様なものだ」という人も居るが、それが為されても患者は(云わゆるところの「干されて」)野菜カスの様になるかあわよくばそれに伴って発狂するだけであるかと考えられる。もちろん精神科医はそこのところを狙っているのであろうが、精神科医というのはそういう連中である。彼らにしてみれば、干し芋や干し柿を作る様な感覚で事に当たっているのであろうが、色々な側面から(で)鑑みて患者が精神科医のものとして生成されれば良いが、そう上手くいくとは限らない。その場合、患者は悲惨である。もちろん精神科医はそれを患者にまつわる病気元来のせいにして責任を取ろうとはしない。精神医学のそういった負の側面を、犠牲になるのは頭のおかしい反社会的人間であるという世間一般常識的に断罪し、特にこの日本という国では殆ど誰も取り沙汰そうとはしなかった。私は、これについて、ある程度の努力をし、白日の下に晒したつもりである。……「認知症に罹ってから性格が良くなるヒト続出」などという報道が一部で為されているが、そういうことである。これが彼らの正体である。「バカも休み休み言え」という認識で彼らに対する必要は無い。これは医師のモラルがどうこうとかいう問題ではない。彼らは敵である。徹底して彼らを粉砕して叩き潰していくこと、これ以外に人々が生き残る道は無い。有りもしない証拠づくりの穢多非人としての彼らを潰すには、(彼らにおける)医療サービスの提供において必要の無い情報を徹底して与えさせないことであり(そもそも彼らはそういう能動自体は持っている)、一部で人工知能医師による医療業務ということも言われているが、特定の医療集団の経営母体からヒトの医師を徹底排除することである。……生きること自体が証拠になってはならないのである。生きた証云々だとかそんなものはまやかしである。「有りもしない証拠づくりの穢多非人」は、我々の生を、そうやって私物化(死物化)する。私は自分の墓に墓標が欲しいとは思わない。(西暦2023年2月10日13時26分記載、西暦2023年2月14日1時58分加筆改変、西暦2023年2月14日2時17分加筆改変、西暦2023年2月14日2時36分加筆改変、西暦2023年2月17日22時42分加筆改変、西暦2023年2月18日13時10分加筆改変)

・近現代の資本主義は主に分業(化)によって成り立ってきたと言われている。……アメリカの人々、主にエリート層の人間達は、彼らを民主主義の敵と定め事に当たるもしくは事に当たろうとするが、アメリカにもそうでなかれと言わんばかりの人々も居ることがドナルド・トランプ氏の登場によって明るみに出た昨今、自分達の認知領域の物事のみにて「それ」を判断しようとしているのではないか?ということである。社会に存するのは、「民主主義の適格者」と銘打つことができる、良いヒトビトばかりではないのである。…人工知能が使用されたところで、ヒトが生きているという事実をヒトは目の当たりにすることになるだろう。ヒトがヒトとして生きている限りにおいてということであり、「それ」を管理するのはいずれにしろヒトである。例えば、米俳優レオナルド・ディカプリオ氏が映画内で描く様に、経済的な豊かさはヒトからある種ある程度禍根を消し去ってくれるかもしれない。現在の中国が掲げる「共同富裕」はこの点において理に適っているだろう。しかし、それには社会的な存在としての習近平氏のコミットメントが存在する。(西暦2022年10月20日16時10分記載、西暦2022年10月28日0時51分14秒加筆改変)

・Johnny Depp氏とChristian Diorの社員の方々と眼鏡屋さんに感謝。眼鏡購入しました。多謝。

・法が社会の反映であるというものの見方には、法へのそのような対自を担う法曹界のヒトたちの価値意識が反映されています。これを言うと彼らに嫌な顔をされるでしょうけど、社会は法律だけで成り立っているわけではないのであって法律も緩衝材の一つなのですね、その証拠に法廷やそこでの闘争というものがあります。ならばということで汎社会的にこれをtext化したのがヒットラーとナチスであり、そこでは法律は逆説的にテロリズムの武器へと堕落しました。どういうことかお分かりでしょうか?自分をキャラクター化するととんでもないことになるんです。接頭辞con-によって表されるもの、少なくともcontextというものがどういうものであるか、ご理解下さい。(西暦2018年夏頃記載)
 
・YouTubeでLeonardo Dicaprioさんが"THE REVENANT"についてTom Hardyさんと一緒に語っているのを見たんですけど、やっぱり自分が「俳優」として「映画」内でactしているということをきちんと自覚しながらそうやっているということで、やっぱりプロはoutstandingですねーと思ったんですけど。(西暦2018年夏頃記)
 
・2018年秋の自民党総裁選は安倍首相が勝つんじゃないですかねー。あ、私は自民党支持者というか安倍首相もしくは安倍政権支持者です。(西暦2018年夏頃記載)
 
・朝鮮民主主義人民共和国も金正恩氏になって良かったんじゃないですかねー。西暦2018年6月25日の産経新聞(たぶん)にその朝鮮民主主義人民共和国の労働新聞という新聞の記事というか論調の要約が載ってます、その要約によって論の旨がねじ曲げられていないとすると彼らの立場からするとということを考えれば我々の常識からすると意外にも合理的でまともです、「反動日本」という表現も出てきますけどこれはまあ過去の経緯やこれから為されようとしていることの内容を鑑みれば当たり前でしょう。(西暦2018年夏頃記載)
 
・カナダで大麻が合法化されましたけど、良いですねー、というのは、そこに輸入されたハーレーに高関税が課されることにどのような社会的な意義、というよりは意理とでも言った方が分かりやすいですかね、が存するのかという問題(提起)と同じものがあるということなんですね。単に価格だけの問題ではないです、念のため。例えば、私もそうですけど普通の日本人はハーレーにまたがってもいろいろな意味でまともに運転してられません、という側面があったりします。ヒトが生きるにおいて自由意志ひいてはそれにまつわる自由というものは必要ですけど、個々における不必要な自由観はそれに伴う責任の放棄を促すのであって破滅的でありそれは社会的というよりはもはや世界的な禍根の元となるわけです、一人で生きていられるヒトはその個人が属する社会構成上の問題として居有り得るかもしれませんけどヒトは一人で生きているのではないので、ということです。(西暦2018年夏頃記載)
 
・社会的にcommitされている(かのような)ゲーム多々ありともかくドラゴンクエストとかあんな毒気の強いものよくやってたなと今は思いますね(ゲームとしてハマりやすくて面白いということではあります)。露骨に色香の漂う美少女アニキャラが出てくるゲームはあまり好みではありませんしパズルゲームも趣味じゃないんで、ファミコン時代のロックマンとか感じ良いなーとか思ったりするんですけど、目からやられる肉体への荷重や痛みは大分軽減されたというのがありその流れでコンピュータまわりのゲームはもう多分やらないですね。(西暦2018年夏頃記載、※後日談。結局Forge of Empiresというゲームやってます…。)
 
・麻生太郎副総理兼財務相が自民党支持者には新聞を読まない人が多いと言ってるみたいなことがそれこそ新聞に載ってましたけど、そりゃもう新聞なんて誰も読まないですよ。個人的なことを言わせてもらうのならば、私は情報収集のために仕方なくうっとおしい広告やそれに類するものでしかないような記事を避けて読むところだけ読んでるだけなので。日経産業新聞とかは好きです。勉強も仕事もそうでしょうけど、新聞を読むということによって、時間や脳のメモリを獲られるくらいならばやることは他にいくらでもあるんで。行為としての休息を摂ってた方がマシですね。(西暦2018年夏頃記載)
 
・私は訳あってここで一見してはバカなことやってますけど、書いてる文の内容がどうとか使っている単語がどうとかfollowerがどうとか気にせずにどんどんtwitterとか使えばいいんじゃないですかね。……twitterは宣伝広告体に過ぎない、という見方もできます。それは、見せ付けであるということであり、見せているということです。つまり、「本当のこと」はtwitterには載らないし、「本当のこと」はtwitterに書く必要は無い、というスタンスでcommitすることもできます。(西暦2018年夏頃記載)
 
 
 
 
↓以下 落書き帳2
 
 
・医療現場におけるモラルハザードは主に看護士や介護を行う為の資格を持つ人材によって為されます、何故ならば医療技術は現代社会においては本位的な社会資本であるという側面がありまた医療現場の中核を為す医師にはこれを的確に運用するという形で医療サービスの販売を患者に対して行うincentiveが存在するからです(医師がそのようである社会はそれだけの社会であるということです、医師は使命的に一義的であるべきであり「医師に(で)成るincentive」が存在してはならないということです)。医療崩壊という言葉も在る通りあまり調子に乗るのは止めていただきましょう、自らが認定看護師だかなんだとかいう理由で自分が所属する病院で自分のお仕事の発表会にかまけるヒマがあるのなら医療従事者としての社会貢献とは如何なるものであるかということについての概説(演説?で許容されるか?)でも行って頂きたい。こういったことに関しては養老孟司さんが「万物における多様性」みたいな賢いことをおっしゃってます、言語表現における疑念みたいなものを呈していらっしゃる方なので「『万物における多様性』みたいな」で片付けたくはないですけどね。で、これ(ら)を防ぐために、前者らを医師とはっきりと給与や法令等に基づく社会的地位に基づけて差別化した上で看護士によるその他の同職業従事者に対する現場管理責任を根拠にさらなる差別化を図るという手段があったりします。これを為すためには、看護士の資格を得るのに必要なハードルを上げればよいということなんですけど、そのハードルが現行の国家資格試験のような異業種を為すものだけそして業種内だけにおけるものによるのであっては効が為され得ないのであって(現場管理責任の無い看護士以外の例えば介護を行う為の資格を持つヒトビトにおいては業種内だけにおける種々差別化された資格が存在すべきでしょう)これには現にこれを記述している西暦2018年から数えて数年前に慶應義塾大学や上智大学が看護学部を設置したという事実によって示されている通り具体的な汎社会的に共通である基準によって計られ得るdegreeを設置するという形を敷けば良いのでありそれに最も適しているのは当該職業への就労年齢を考慮すれば後期中等教育の内容が課される当該教育機関への入学試験であり用途上都合良くも数年後から高等教育機関である大学への入学について課されるべくのその一部が外部委託される共通の試験が施行されることが決定されているということがあります。(西暦2018年記載) 
 
・natureにはその本質的にmatureが伴いmatureにはその本質的にnatureが伴うのが理ですけど、少なくともヒトの生育や発達においてはnature and matureという観点が正しいわけであって、悪質にも云われるところのnature or matureというのは当の社会学等によってその本質が説明されてしまっている通りnatureもしくはmatureに基づいた上でのnature or matureですらなく"nature or mature"として完結しているこれの行き着く先はnature (only)すらもmature (only)すらも無い(multiplied) text(ure)だということです。分かりやすく比喩的に説明するのならば、「A+B=C⇔A=C-B」を言語で表現するにあたって、日本語で「A+B=CはA=C-Bである」というのではなく「A+B=CなのでA=C-Bということになる」という表現を用いる奇異なヒトが日本人の中には居るんですけど、前者はS+V+Cで済む日本語においては最も一般的であり便利な形のものですけど後者はこの場合意味合いとしてS+V+CではなくS+V+Oとされざるを得ないような(その意味で)合目的的な婉曲表現であり内容もしくは論理を表現するのに全くふさわしくないものだったりします、A=C-B is addicted to A+B=C.と英語で言えば聞こえは良いですけど。(西暦2018年記載)
 
・ヒトではない動物における生殖は否定できても生殖欲求は否定できないということもあり、ヒトにおいてということですが、理性という単語をここでは使いますけど、理性あっての生殖であるから是とされるということです。その証拠に避妊というものやそれについての様々な知識が存在します。同じヒトの個体がそれが存在する現代に生きているのと仮にではあるがそれが存在しない原始時代に生きているのでは生殖原理やその生殖能力によっても全く是非の与えられ方が異なるということであり、子供に対する情操を養わせる教育におけるということでもない限り単に「客観(的)」と「主観(的)」という鑑みではtext化への罠に嵌るのであって素直に社会学的な自己同一性と認識しておけば良いのに日本語における「人生」という陳腐な単語を使用するに際してこれがよくあらわれるということですけど生きるということをtext化することは百害あって一利無しであるということであり、特定の該当の他者を認めていればそのようにて尊重し合うということでしょうし無視していれば個人の個人による個人のための体当たりということが起こるでしょうねということです。「擬人化された動物」における「擬人(性)」は「(ヒトではない)動物であること」の必要条件であり必要十分条件ではないということです。(西暦2018年記載)
 
・近世から近代にかけての文明の発達に必然として沿っているという形で「聖書の文字句に従って」というプロテスタンティズムの理念から逆説的に聖書の文面に対する自由な解釈が生まれてそのようにかつ含まれたカトリックや東方正教会という形でキリスト教文化の進展が為されていったということから示されるべきものが有るように文化人類学的に「手を置かれるべくの聖書」という解釈されたtext群の中から取り出された象徴としての聖書の教え(ということ)に示されるように(その)知の出どころ云々というよりは知の取扱いに工夫が要る生物としてのヒトが生きている場面場面だったりします。意味内容の明確性が確実である対象が取り上げられている場合においてということですけど、「脳死は死か」という問いを立てるなりして脳死というものについて考えてみても理解できる通り、keyとして取り上げられているものがkeyとして成り立つかという問いにyesかnoかで答えられないのはその問いにおいてkeyとして取り上げられているものに意味内容があるからであり、ちょっと語弊があって申し訳ないんですが日本語の「『要』『約』」という単語を使用してしまいますけど、keyとして取り上げられているものの要約が効力を為し得るかという問題はkeyがkeyであるが故にその要約にも該当する意味内容があるからこれもyesかnoかでは答えられないということです。(西暦2018年記載)
 
 
 
 
↓以下 落書き帳3


・暴力を肯定させるとは、何に対して?神に対して?もしそうならば連中は自分たちを神格化している人格神当該存在だとか人格神妥当存在だとかいったことになるわけで、つまり皮肉にもそれによって天皇は象徴であるからこそ天皇であるということが示されたわけであって、事の真相を分かってという以外で天皇が現人神だとか言っていた連中はそれによって天皇の存在を否定していたわけでありそして「死んだ戦争犯罪人たちが神社に祀られている」ことには価値があるわけです。
 
・自らの理想像を子供に押し付けている時点でそれは大人少なくともその子供の親である大人の行う事ではなくそれを押し付けられる子供と同じ子供の行うことであるということです、大人とはそういう(子供を管理したり教育したりする)生き物であるということであり子供は大人に対して未成熟であるが故に子供であるということでありまた大人は子供に対して完全ではないが故に管理や教育の方針を適宜変えていくということです。
 
・医師や看護士の中には何かを勘違いしているヒトが居るのではっきりと念を押すために言っておくんですけど、患者には病気や怪我を治療しなければいけない義務は倫理的にも法的にも無いので、その為に隔離と安楽死執行をセットで司ることをその宗とする死の宣告機関が必要だということなんですけど、今はそれはちょっと置いておいて、例えば患者には医師が患者の薬局での医薬品の購入のために発行して販売する処方箋を購入する義務も無いですし(これについては医師において医師が患者に対して適正な治療を行ったかどうかについての糾弾を避ける側面というものもあるということです)、仮にそれを購入したとしてもそれを定められた用途以外に特に悪用しない限りにおいてそれを用いて薬局で医薬品を購入しなければいけない義務も無いですし、仮にそれを用いて薬局で医薬品を購入したとしてもそれを服薬したり投薬されたりしなければならない義務も無いのですね。ちなみに、精神病(の定義)は伝染するものではないですから、例えば全裸で屋外に飛び出してしまうとかそういった(ヒトが構成する社会の規範上、そのように)特異な場合を除いて、患者にはそれを治療しなければいけない義務は無いのですね、私は治療してますけど。患者のカルテというものは診療室におけるその患者の状態や訴えた症状を記録するものです、が、医師と患者の関係はいつでもクリーンであり常に患者は医師に対して情報を提供するものであると思われたらば大間違いです……医師は患者と同一人物ではないので特に精神医学の場合眼前で大怪我を現行で負ったとかではない限り状態が正確に記述されて記録されることは不可能です。例えばそれが患者の申告によるものであれ医療側の直接の診断によるものであれどのようなアプローチを取るものであっても患者側によって供与されることになった医療情報の中に、何らかの形で妥結されてしまうことになる様なという形を取るものも含めて、医師を始めとした医療側が受領しないものが在るというのであれば、その医師を始めとした医療側の施す医療を自らに対する医療行為として採用する必要は患者においては社会資本としての医療技術の側面を鑑みれば倫理的にも合理的にも皆無だということです。医療の医療による医療のための医療というものは存在しないのであって、ヒトは人体実験の材料ではありません。戦争は人類史上最悪の行いであり平和は尊いものですけど、平和ボケし過ぎてるんじゃないの?と言いたくなります。医師が、医師だからといって、無根拠に自分の体を肯定的に取り扱う天使の様な白衣の至高の完全な存在だと思ったら大間違いです。医師にだって(色々な意味で)悪い人間は大勢居るのですね(医師も生きているヒトであるということでもあります)。

・「手作りの帽子における手作りという付加価値にお金を払う人が居なくなった」というのは間違っているのであって、「手作りの帽子における手作りという付加価値を付加価値と見なす人が(ほどんど)居なくなった」というのが正しいものであるということです。まあ、お話でもということで、「ネロはセネカに騙された、時勢が終局を迎えるにあたって終わりの始まりが始められるべくであるかを予見するかの如くローマの街に火を付けた。そしてここぞとばかり糖蜜酒をあおるかの如く葡萄栽培にいそしむセネカをネロは殺した、が、人民に対する裏切り者扱いすることなどもはや出来なかった。」、Ozzy Osbourneさんが"~All that's done is done~"って歌ってますねー。(西暦2018年記載)
 
・私がこれを書いている現在において廃人であるというわけではないですが、この様な私が為されるのに大役を買っている精神科医諸面々は鬼畜であると一般常識を備えた人々には映る可能性があります。私がこの可能性を考慮もしくは予測できるのは私にも一般常識が備わっているからです。精神科医はこれについてデータを取っているでしょうけど、死を恐れなくなったヒトが暴走するわけでもなく自暴自棄に陥るわけでもなく何か悪事の画策を行うわけでもなく少なくとも精神面においては極めて健康に生きることができるようになる場合もあるということです。私個人に限って言うのならば、未来への羨望も過去への憧憬も純粋に死への反動から来ているのであり、それこそ象徴的に望むものは何も無いというわけであって、このように幸せを感じたことは今まで無かったりします、とにかく楽でhealingの只中に居るといった感じです、というわけでそういった形で(それによって)生を与えられる死生観なるもの(?)だったりします。(西暦2018年記載)
 
・自信に是を突き付けてみたり非を突き付けてみたりするヒトが居るんですけど、ヒトに生物学的な側面からするところの自己同一性が備わっているということであってそれをヒトが勝手に自信とかfaithとか呼んでいるだけであって、そんなものただの定義かと考えられるんですけど。(西暦2018年記載)




↓以下 落書き帳4
 
 
~I am sorry, and excuse me. I am not inclined to decline people who have helped me, as I execute a kind of object. However, the accidental subject is different from sanity by accident. I am glad to get on featuring you.~

(西暦2018年記載、後西暦2020年9月24日4時31分加筆改変)




↓以下 落書き帳5
 
~From a social point of view following geographical attendance escaping is always deniable except for it in the case of sustaining ourselves, but who is not the case?  ......I do not know the way of mentioning Constitution, which can be translated into something abstract relying on each individual or the sentence itself.  Excuse me, I am Japanese.~

(西暦2018年記載、後西暦2020年9月24日4時22分加筆改変)




↓以下 落書き帳6


~Can the man allying himself to a sword beat one allying himself to a pen? Even if there was the reason why the messenger was hacked, it reminded me of how to happen. Dull explanation for what to live, "Can the man earning his bread beat one allying himself to a pen?", gives him the reason why the messenger is hacked.~

How obviously eau de parfun "SAUVAGE" works. Up to visions of my home town, Nagoya City, Japan, it is too much more sense-making for me. Haken Kreuz? No, it is just the shape of the road. There was nothing but Enlightenment in my childhood. Each knowledge in order to be the one gave me, as it was impossible for me to be worth tiring. However, the fact does not mean myself to get rid of blessing its absent-minded. ......A joker could play the role of both divided personality and not in the name of "Joker." Known by himself who carries out his action under the circumstance, he is just a joker for the man who does not care him. And then, there is a fact to be playing the role of a joker of him in the name of "Joker." ......There is no mask behind beauty. If the opposite is true, there is no beauty behind the mask.

A word entered to the form to search for what featured object in the name of it is memorizes my name as Japanese Kanji and notification must be the same, but the form recognizes another nominal object in Roman alphabet. If I do not have such a word, exactly I should be attacked. I am sorry for keeping up with knowing none of yours......I know that there are some of Japanese who declare themselves as American-like or Russian-like Japanese gang, for example, and they are not American, Russian, English, German, French or Italian and so on but just Japanese. ......The problem was adjusted. It is set at the paradime time after time.~

(西暦2019年3月10日頃記載)
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プロフィール

HN:
Shinpei Sugiura
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1981/03/20

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